お知らせ

2024年度の庭園公開は終了致しました。ご来園有難うございました。
次回公開は2025年4月末を予定しております。

紅葉の松屋敷庭園

2分22秒の小さな旅をお楽しみください。

2021年11月12日撮影

ようこそ、松屋敷へ

栃木県日光市、世界遺産である二社一寺「東照宮」「二荒山神社」「輪王寺」のほど近くの高台に敷地約1万坪に及ぶ庭園があります。
敷地内に建つ日本家屋を含めてその場所が「松屋敷」と呼ばれるようになったのは100年以上前(大正時代)からの事です。その名前の由来となった150本を超す赤松を始め、春の梅、山桜、山つつじ、新緑の初夏から万緑の盛夏、そして松屋敷がその美しさを最も際立たせる紅葉の秋、小さな滝の音、心地よいそよ風、鳥の声、そして野生の鹿が遊ぶ庭は今もなお四季折々その豊かな自然と景観を保ち続けています。
私有地であることから一部の人にしか知られていなかったこの松屋敷は、「金谷家ゆかりの庭園」として2016年4月より庭園のみ限定公開をしております。

松屋敷とは

松屋敷と金谷家について

日光東照宮の楽師であった金谷善一郎が日光市本町の自宅を開放して始めた外国人のための宿泊施設が「金谷ホテル」の前身「金谷カッテージイン」です。1873年(明治6年)のことです。(現在「金谷カッテージイン」は「金谷ホテル歴史館」として一般公開されています。)
その後「金谷ホテル」を現在の場所(上鉢石町)に移転。日本最古の西洋式リゾートホテルとして今に至っています。「金谷カッテージイン」から数えて昨年2023年には創業150年を迎えました。
金谷ホテルは創業者金谷善一郎の後を長男眞一が継承。次男正造は箱根の富士屋ホテル創業者山口仙之助の養子として山口家に入り、富士屋ホテルの経営に携わりました。
長女タマ(多満)は鬼怒川温泉ホテルを夫金谷正生(まさなり)(原家より養子に入る)とともに経営するなど金谷家はまさにホテル経営を天職としている一族でした。
金谷ホテル二代目社長となった眞一には二人の娘がいました。長女花子は後に金谷ホテル三代目社長となった金谷正夫(井上家より養子に入る)と結婚しましたが、眞一にとって心配の種は病弱であった次女雪子のことでした。
眞一は弟山口正造と日光市内に共同で所有していた土地に、金谷ホテルの敷地内にあった日本家屋を移築し、そこを雪子の療養のための場所としました。大正末期の事です。それが松屋敷と呼ばれる家屋であり庭園でした。
金谷ホテルからすぐ近くの場所にありながら松屋敷の気候や環境が良かったのか幸いにも雪子はめきめき健康を取り戻しました。叔父である山口正造や金谷正生の勧めもあり、近くで牧場を開き乳牛を飼い酪農を始めました。努力家の雪子は陣頭指揮を執って牛乳やバターの生産を手掛け金谷畜産部として事業を発展させました。
時代は移り変わり昭和30年代にはその酪農経営も止め、その後暫くして雪子は60年の生涯を静かに松屋敷で終えました。

松屋敷再生

雪子没後暫くは住む人もいましたが、その後松屋敷は無人のまま年月が過ぎ、家屋は老朽化が進み庭園も荒れはじめ、このままではいずれ家屋は崩れ落ち庭は原野に戻ってしまう恐れがありました。
松屋敷の現在の所有者(山口正造の孫娘)はこの美しい自然環境を守っていくために、まず手始めに庭、特に庭のシンボルでもある松の手入れを始めました。その後池の改修工事、池へ水を取り込んでいる赤沢川からの水路の修理などを進めるうちに庭園も徐々に生気を取り戻しました。
そして最後に残された家屋の改修に着手。外観は昔のままに、使える材料や建具を利用し内部は新しく化粧直しができました。

水力発電施設跡

導水管及び発電施設跡

敷地の東側の崖の上に自家水力発電施設跡があります。
明治時代後半から昭和20年代まで、赤沢川から取水した水を崖下へ落して発電していました。発電機はドイツのシーメンス社のもので、作られた電気は金谷ホテルへ供給していました。

句碑について

松屋敷の入口、門柱を入ってすぐの左脇に古い句碑があります。
江戸時代の豪商 紀伊国屋きのくにやぶんもん〈紀文〉の句碑です。

右 大日堂  左 含満
雨晴れて 水清けさや 大谷川    紀文

実際には石碑の表側に句の前書まえがきとして「右 大日堂だいにちどう  左 含満がんまん」(現 憾満かんまんふち)裏側には今では殆ど判読できませんが 「あめれて 水清みずさやけさや だいがわ」 の句が書かれています。

句碑の横に日光市の説明として 「(紀文)本人が日光に来たかどうかはわからない」 「句碑の建立は宝暦十三年(1763年)とあり、紀文没後29年を経ているので、家族か関係者の建立らしい」と記してありますが、松屋敷に隣接する「梅屋敷旅館」敷地内には 紀伊国屋文左衛門の俳句の師匠である 室井たからいかく の「夕桜 おしまれぬ身に 散りかかる」の句碑もありますので、其角と紀文の二人あるいは数名で日光を訪ねた可能性はあります。

尚、紀伊国屋文左衛門の句の前書「右 大日堂  左 含満」が道標を兼ねたものとすると、実際には大谷川を少し遡った「憾満ケ淵」と「大日堂」(現 大日堂跡)へとの分かれ道の辺りになると考えられます。どちらにしても何故松屋敷の入口にこの「紀文」の句碑があるのかはわかりません。

また、「大日堂跡」には、宝井其角の師匠である 松尾芭蕉 の「奥の細道」の中に詠まれている名句「あらたうと 青葉若葉の 日の光」の句碑もあり、この師弟三人と日光の縁を感じます。
日光市内(旧市街地)で隠れた句碑巡りをされるのも楽しいかもしれません。

山口正造の銅像について

2019年に松屋敷駐車場側に山口正造の銅像を東京から移設いたしました。
山口正造 1882-1944(明治15年-昭和19年)は金谷ホテル創業者金谷善一郎の次男として日光に生まれ、後に箱根の富士屋ホテル創業家山口家の養子となり富士屋ホテル3代目社長を務めました。
松屋敷の敷地は兄である金谷眞一(金谷ホテル2代目社長)との共同所有でした。

庭園公開のご案内 公開は庭園のみです

2025年の公開日は2025年3月中にお知らせいたします

公開日
4月~11月の第4土曜日と翌日曜日
その他4月末からの大型連休及び紅葉の見頃の11月は日程を拡大して公開致します。

開園時間
午前10時~午後4時(最終入園 午後3時半)
気象状況及び諸事情により日程や時間は変更になる場合があります。

入園料 現金のみ
大人:¥500(団体20人以上:¥400)
小学生:¥250(団体20人以上:¥200)

下記より松屋敷 庭園の略図を入手いただけます。(園内図を更新いたしました)
庭園の略図(PDFファイル)ダウンロード

入園に際してのお願い


  • 1.許可のない商業利用の写真や映画の撮影はお断りいたします。
  • 2.園内には池、川、崖地等危険な個所が多々あります。また野生動物の生息地でもあります。十分ご留意ください。利用者の不注意による事故、損害、その他災害時の被害について当施設は一切の責任を負いません。
  • 3.当施設の建造物・設備・備品、その他を毀損・汚損・紛失させた場合はその損害賠償(実費)を請求することがあります。
  • 4.松屋敷内では管理者の指示に従ってください。

お知らせ


アクセス

「梅屋敷旅館」「ホテル高照」入口を入り、直進約150m先突き当り

所在地
〒321-1414 栃木県日光市萩垣面〔はんがきめん〕2396-1
Google Mapの【ルート検索】をご利用の場合は目的地を【ホテル高照】で設定してください。
霧降大橋より県道247号線を東照宮方面へ進んでいただき日光小学校を過ぎ、【たまり漬本舗つるや日光店】の交差点(左手は橋になっております)を右折。
ヘアピンカーブを抜けますと右側に【梅屋敷旅館】【ホテル高照】の看板が見えます。必ずその入り口からお入りください。
【梅屋敷旅館】駐車場の先の砂利道を進んでいただければ突き当りが【松屋敷】でございます。
詳細については下記地図を参照してください。
 
Googlemap はこちらから
電話でのお問合せ

0288-25-6066
     電話に出られない場合がございますので、メッセージをお残しいただければ折り返しお返事いたします。

メールでのお問合せ

info@matsuyashiki.com

交通のご案内
電車をご利用の場合
東武日光駅、JR日光駅から
タクシー:
約5分〔萩垣面(はんがきめん)の「松屋敷」又は「梅屋敷旅館の奥」とご用命ください〕
バス:
中禅寺・湯元方面行き〔「神橋」停留所より徒歩約15分〕

お車をご利用の場合
日光宇都宮道路・日光インターから約2.5km
〔カーナビをご利用の場合は、目的地を「ホテル高照」に設定してください。「松屋敷」の住所、電話番号を入力しても「松屋敷」への正確な道順は示しません。〕

いずれの場合も、梅屋敷旅館・ホテル高照を目指し、その入り口を入り直進約150m先突き当りです。

駐車場
若干数(4~5台)あり〔松屋敷入園中のみ利用可〕
隣接する梅屋敷旅館・ホテル高照の駐車場は利用できません